ちゃららのごくどう日記

土佐弁で、なまけ者とか、ぐうたらな人のことを「ごくどうもん」と言います。自由な土佐の山間から、田舎のおばちゃんが、あれこれ書いてみます。

高知のおんちゃんは、遊びが大好き

f:id:kitagawayuzu:20180627084347j:plain土佐弁で、おじさんのことを、おんちゃんと言う。

これは、親しみを込めた方言で、高知では、親戚の叔父さんのこともおんちゃんと言うし、隣に住んでる、気のいいおじさんのことも、おんちゃんと呼ぶ。関西弁で言うところの「おっちゃん」みたいなもんだ。

そんな、おんちゃん達のことを、今回は、ちょっと書いてみようと思う。

 

私の周りにいるおんちゃん連中は、おしなべて、遊ぶことが大好きである。

おんちゃんと呼ばれるのは、概ね、40歳以上。年齢層は幅広く、70歳を過ぎていようが、元気でアクティブなら、おじいちゃんではなく、おんちゃんである。

気の合う仲間なら、おんちゃん達は年齢差など関係ない。親子ほど歳が離れていても、仲のいいツレ(友達のこと)で、互いにずけずけとものを言い合う。一応、最低限のルールというか、年長者への敬意はちゃんと払うのだが、目上であろうと、冗談を交えつついじるし、いじられるほうも、容赦なく返す。お酒が入ると、たまに口論になることもあるが、翌朝には「昨夜は酔うてすまんかった」で、大抵のことは済む。

 

つまり、高知の田舎のおんちゃん連中は、やることがおおらかで、面白いのだ。

 

今の時期なら、川遊び。もちろん、いい大人だから、川でバシャバシャ水浴びをするような、お子ちゃま遊びはしない。鰻や鮎、アメゴ(ヤマメ)などを捕まえてくる川漁が、田舎のおんちゃん連中の大好きな遊びで、先日も、捕まえた鰻でバーベキューをした。

 

誰が音頭を取っているのかは知らないが、毎年今頃になると「今度の土曜日、はえ縄大会、するで」という電話が主人の携帯にもかかってくる。連絡を受けた主人は、その日から浮足立ち、土曜日の朝には仕事をほっぽらかして、「後のことは、お前に任せた」と言い残し、スキップでもしそうな足取りで出かけていくのだ。つまり、うちの主人も、遊び好きなおんちゃんの一人と言うわけだな。誘われたら、仕事なんかはそっちのけ。まあ、鰻が食べられるから許すけど、これがどこかの公務員なら、謝罪会見は避けられないだろう。

 

さて。

この「はえ縄」というのは、鰻を捕まえる仕掛けのことである。長い紐に等間隔で取り付けた針に、小魚などの餌を突き刺し、鰻が潜んでいそうな場所に沈めて翌朝引き上げる。鰻がいそうな場所を見極めるのには熟練の技が必要らしく、首尾よく鰻が掛かっている人もいれば、餌だけ取られて、まったく捕れない人もいる。それが、この遊びの面白いところで、おんちゃん達は、腕を競い合って、あーだこーだとワイワイやるのが好きなのだ。「俺の鰻が一番デカい」だとか「俺が一番多く捕まえた」なんてことを、子供みたいにはしゃいで言い合っている様子は、見ていても楽しいものがある。

そして、捕まえた鰻を肴に、みんなで一杯やろう!となるのが高知のいいところ。

おんちゃん達が、みんなで鰻をさばいて、炭火を起こし、たれに漬けて焼く。ビールを用意するのもおんちゃん達。「〇〇ちゃん(私の名前)も、鰻食べにきいやー」と、今年も電話が掛かってきたので、私も鰻バーベキューに参加した。

もうね、川で捕って来た天然鰻よ。美味しいに決まっちゅうやろ!そりゃー、ビールもすすむわね。

という訳で……、途中からワタクシ、まったく記憶がございません(汗)。

来年は、飲みすぎないよう気を付けます!

 

 

 

 

うちの主人は、人相が悪い

f:id:kitagawayuzu:20180619223932j:plainうちの主人は、人見知りな性格である。

初対面の人に対して、自分からニコニコと話しかけることはあまりなく、愛想は良くない。第一印象は「怖そうな人」がほとんどで、かく言う私でさえ、主人と知り合った当初は「この人、何か怒っちゅうがやろか?」と思ったくらいだ。

当然、主人の友人達からも「人相が悪い」とか「悪人顔」などとよく言われるし、証明写真など撮ろうものなら「指名手配犯の写真みたいや」と必ず誰かに言われている。

何しろまず、髪型がいけない。

秀でた額を隠すことなく坊主にしているのだが、威圧感がハンパない。散髪は自分で。お風呂場でバリカンを使って散髪している。ただ、髪の毛の量が少ないもんだから、手間もお金もあんまりかからない。坊主にし始めたのは20年ほど前からで、本人は「ダウンタウンのまっちゃんが、俺の髪型を真似したがで」などと言っていた。

次に、目つき。

二重瞼で目も大きいのだが、ギロギロというか、ギョロリというか、つぶらな瞳とは正反対の目つきをしている。寝不足した日などは、かすかに血走っていたりして、うっかり目が合った人の中には、「今、睨まれた?」と誤解している人も少なからずいることだろう。緊張させてごめんねと、主人の代わりに謝りたい。

そして、無精髭。

人見知りに加え、面倒くさがりな性格の主人は、マメに髭を剃ることをしない。還暦も過ぎ、さすがに白髪の割合が増えたが、頭髪に比べると、髭のほうは若かりし頃と遜色ないほどよく生えている。頭髪に、なぜこの毛髪力が現れないのか?私にはそれが不思議でならないのだが、おそらくそれは、神様が主人に与えた試練であろう。

そんなわけで、要するに、坊主で髭ヅラ。ヤクザ映画に出ている悪役商会の俳優さんみたいなルックスなのだ。人相が悪いと言われても、まあ、文句は言えまい。

 

そんな、ただでさえ人相の悪い主人なのだが、サラリーマン時代は、さらに輪をかけた仏頂面で帰ってくることがよくあった。

「お帰りー」と声をかけても、返事はない。ぶすっとした表情で、まるで何かに怒っているようなその態度は、「俺の後ろに立つな!」とか言い出しかねない気配すら漂っていた。もちろん、そんなことは一度や二度ではなかったから、「あー、また仕事でなんかあったがやな……」と、すぐに察しはつく。触らぬ神に祟りなし。そっとしておこうってな調子で、私のほうも特に何も言わなかったのだが、私が何か悪いことをしたわけでもないのに、自分が怒られているような嫌な気分になったのも事実で、そんな日は当然、ろくに会話もしなかった。

そして、怒って帰って来た日から数日後になって、ようやく、晩酌をしながら、ぽつぽつと何があったのかを話し始めるのがいつものパターン。話し終えた後は、必ずと言っていいほどため息をつく。もしかしたら、怒って帰って来た日は、口を開くと私に八つ当たりしそうだからと、無理して黙っていたのかもしれない。

 

「なあ、俺が仕事辞めて、親父の後継いで農業するって言うたら、オマエ、どうする?」

主人が、そう訊いてきたのは、いつものように晩酌をしている時だった。その頃の主人は、休日にもトラブルで呼び出されたりすることがよくあり、疲れた表情で帰ってくることが増えていた。だから私のほうも、いつか「辞めたい」と言い出すのではないかと、ある程度予想というか、覚悟をしていたから、驚くこともなかったように思う。

「どうするって、何よ?仕事辞めんとってって、私に止めて欲しいが?止めて欲しいがやったら、止めちゃうで?」

「い、いや、冗談と違うき。俺は、酔うてこんなこと言いゆう訳やないがぞ?真剣に言いゆうがぞ!」

声を荒げそうになる主人に、

「そんなん、わかっちゅうし」

私が、笑って答えると、

「わ、わかっちゅうって……」

言いかけた主人が口ごもった。

「もう、お父さん(主人)の気持ちは、決まっちゅうがやろ?そんなら、それでえいやんか。仕事、辞めたいがやろ?辞めてもかまんき」

と、多少の脚色はしているが、まあ、概ねこんな会話をしたように思う。我ながら、ちょっと良いこと言うたやん!などと、その時はちょっぴり思ったりもしたのだった。

 

そう、ここまでなら「いい話やね~」で済んだのだ。

 

しかし、この数日後、主人は私の怒りを買う羽目になる。

なぜなら主人は、私に話をするよりも先に、義父さんに、仕事を辞める相談をしていたのだ。しかも「辞めようかどうしようか悩んでいる」なんていう可愛らしいお悩み相談ではなく、「仕事を辞めて農業を継ぐ」ときっぱり断言していたのである。

それ、相談と違うやろ。辞めるっていう報告やろが!

当然、その事実を、義父さんの口から聞いた私は、腹の虫が治まらない。主人が仕事を辞めたら、一番に影響が出るのは私と子供たちである。それなのに、私を後回しにして、義父さんに辞めます宣言って、アンタ、順番が違うろがっ!

「ちょっと、私より先に義父さんに相談したって、どういうつもりなが?こういう大事なことは、まずまっ先に私に相談するがが筋というもんやろ?」

怒りにまかせて詰め寄る私に、

「い、いや、辞める言うたら怒られそうな気がして、言い出しにくかって……」

と、しどろもどろに言い訳をする主人。この時ばかりは悪人顔も迫力はない。

もうっ!腹立つわ!汁が出るまで絞っちゃろかっ!と、思ったりもしたのだが、言い出しにくかった主人の気持ちも、わからないでもない。

腹は立ったが、まあ、今回はこれぐらいにしちょいちゃろか……。

「次からはちゃんと、私に一番に言いよ」

そう言って、その場は私も怒りを収めた。

 ただし、これでも高知のハチキンである。舐めたらいかんぜよ!

「今度同じことしたら、許さんで!」

以来、主人は私のことを「社長」とか「親分」などと呼ぶようになった。

当然だが、主人の言葉からは、敬意のかけらも感じられない(笑)。

 

 

 

 

 

ぼちぼち、農業の話をしようじゃないか

f:id:kitagawayuzu:20180616173137j:plain私は現在、高知県東部の山の中で、主人と柚子を栽培している。
所謂、専業農家。お米や野菜も作っているが、専門は柚子だ。栽培面積は140アールくらい、と書いても「よーわからん」って人がほとんどだろう。柚子の木を千本ほど栽培していると説明したほうがわかりやすいかもしれない。
結婚した当時は、農業なんぞをするつもりは、まったくなかった。
主人は地元のJAに勤めていたし、私も子供たちが保育園に通い始めてからは、事務のバイトなんかをして働いていた。主人の両親が柚子農家だったので、ゆくゆくは手伝うことになるのだろうと漠然とは思っていたが、そんなのは主人が定年退職してからのことだ。老後にのんびりまったり、晴耕雨読生活するのも悪くないなどと、ぼんやり思っていた。

ところが、主人がJAを辞めてしまったのである。

主人が40歳を過ぎた頃だった。辞めた理由は、職場の人間関係や仕事のノルマ、その他もろもろで、辛い気持ちもよくわかったし、辞めたいと主人から告げられた時も、私は反対しなかった。
ただ、当時は長女が小学四年生になったばかりの頃で、次女と、末っ子長男、三人の子供たちには今からまだまだお金がかかるようになる。私はとある事業所から事務員として仕事をしないかと誘われていたので、主人が農業をするなら、私だけでも外で働いて、安定した収入を少しでも確保したほうがいいのではないかと主人に相談したのだった。

しかし、主人が首を縦に振る気配はまるでなく、
「一緒に、農業をして欲しい」
なんてことまで言い出す始末。

「えー、けど、農業は、しんどいし。収入やって、安定してないやろ?」
なるべくなら、農業は、したくない。夏は暑いし、冬は寒い。汗にまみれるし、虫にだって刺されそう。事務員の方が楽で、楽しそうに思えてしまうのだ。
すると、しぶる私を前に、ふっと真顔になった主人が
「しんどい仕事やきこそ、お前と一緒にやっていきたいがよ。しんどいきんこそ、お前に助けてもらいたいがやいか」
そう、言ったのである。
その言葉を聞いた時、まるで、二回目のプロポーズをされたような気分になった。
一人では辛い仕事も、お前とならば、乗り越えられる。さあ、一緒に手を取り合って、共に歩もう!
もちろん、そんなことまでは言わなかったが、私の心には、そう言っているように聞こえたのである。

あれから、20年……。
いや、正確には19年。

今になって、私は思う。
あの頃、私はまんまと主人に騙されたのだと。
主人の本音は、「しんどい仕事やきこそ、お前にやらせておいて、俺が楽するがよ」ではなかったかと、密かに疑う毎日である(笑)。

ですます調では、語りきれない村上春樹

すべては、私の勝手な先入観のせいである。
村上春樹の作品について何かを語るなら、やっぱり、「ですます調」の文章のほうがふさわしいだろう。なんてったって、村上春樹。文学を語るなら、お上品でないといけない。
なんとなく、そんなことを思って、前回のブログは「ですます調」で書いてみた。
「ですます調」で書くと、文章はどこか柔らかく穏やかな雰囲気になる。それに対して「である調」は、断定的できっぱりとした、男性的な文章だ。
これでも私、生物学上は一応「女性」に分類されているんですよねー。だから、どこか女性的な感じのする「ですます調」で書いても、何も問題はないですよねー?
そんなふうに自己肯定をしながら文章を書き始めたのだが、これが意外と書きにくかった。

だってほら、私、ハチキンやろ?しかも、ただでさえおばちゃんやのに、無駄に酒に強いし(そこは関係ないか)、性格がオヤジ気質ながって。
しおらしいふりして何か書いても、自分の言葉じゃないみたいな気がして、性分に合わんがってね。

というわけで、文章を「である調」に戻して、前回書ききれなかったことを追加で書いてみることにした。
前回同様、興味のない方は、遠慮なくスルーしてください。

村上春樹の小説を読んでいて、いつも思うことがある。
ひとつは「官能」について。
村上春樹の小説には、官能シーンが登場する小説が非常に多い。「羊をめぐる冒険」に出てきた「耳を閉鎖」した女の子もコールガールの設定だったし、最近読んだ「騎士団長殺し」でも、別れた妻との官能描写が何度か出てくる。しかし、文章の熱量というか、高揚感がそこにはまるでなく、そそられるようなエロさがまったくないのだ。

いかんやろ。

エロスだよ、エロス!ほとばしる情熱とか、抑えきれない衝動とかに突き動かされて、100メートルを全力で走り切ったみたいな胸の高鳴りとか、呼吸の乱れとかが、普通はあるもんやろ?
それなのに、村上春樹の文章ときたら「女の子が服を脱いで寝っ転がってるから、しょうがないのでやってみた、やれやれ」ってな調子で、汗すらかいた気配がない。まるでお茶でも飲むみたいに「僕たちはセックスをした」とか書いてあって、「彼女のことが好きで好きでたまらなくて、抱いた」とは書いていない。「僕」は本当に「彼女」のことが好きなのか?と、疑いたくなるような文章なのに、概ね主人公である「僕」はいなくなった「彼女」のことを女々しくいつまでも想い、そのせいで妙な出来事に巻き込まれるのだ。
やれやれ。
エロスに満ち溢れた「官能」を描くなら、やはり、ウエットな粘りのある文章でなければならない。しかし、村上春樹の小説には、そのウエット感が、まるでない。だから、登場する女の子と出会ってすぐに関係を持ったり、誰とでも寝る女の子が物語に登場しても、いやらしさがないのだ。
クールでドライな文章で書かれた村上春樹の小説を映像化したら、とたんに官能作品の色を帯びる。そして、原作の文章の美しさが損なわれてしまうような気がして、それが私は残念でならない。

もうひとつは、小説のジャンルについて。
村上春樹の小説は、ジャンルとしては文学作品になるのだが、最近の作品を読んでいると、はたして本当に文学作品なんだろうか?とよく思う。
例えば、「1Q84」の青豆なんかは、セックスの後で相手を殺っちゃう必殺仕事人の設定だし、「騎士団長殺し」も、絵の中の騎士団長が絵から抜け出し、目の前に現れて、へんてこなしゃべり方で主人公に話しかけてくるのである。
設定だけ、あらすじだけを読んだら、まるでエンターテイメント小説だ。
親から暴力を振るわれていたり、ジェンダーの問題だったり、DVだったり、社会に影響を与える宗教団体だったり、物語の底の部分に流れているテーマは重く文学的なのに、例の、クールでドライな文章で、キッチンに行って、水をグラスに二杯飲んだり、ファンタジー小説のようなストーリーが展開するせいで、物語の深刻さが薄れて、文学作品なのにライトな感じになってしまうのだ。だから、読みやすいのに、難解と言われる作品になるのかもしれないが……。
村上春樹の小説は、間違いなく、文学作品だと思う。しかし、他の文学作品とは、明らかに違う。
なので、私は、村上春樹の書く小説は、村上春樹というジャンルの小説であると思っている。

まあ、ジャンルなんてどうでもいいことなのだが。

村上春樹の「羊をめぐる冒険」について書きました

先月末のことです。Twitterのお友達である胡桃ちゃんに、村上春樹の「羊をめぐる冒険」という作品を薦められて、さっそく読んでみました。
というわけで、今回は村上春樹について書いています。興味のない方は、スルーしてくださってかまいません(笑)。

実は私、お恥ずかしい話ですが、これまで村上春樹の「ノルウェーの森」より以前に出版された小説をほとんど読んでおりませんでした。読んだのは、デビュー作の「風の歌を聴け」だけで、しかも、読んだのもずいぶん前で ( 確か、海辺のカフカが刊行された頃だったと思う )、読んだ当時は「全共闘とか、学生運動になじめなかった、クールな大学生の青春小説」といった印象だったかなぁ。空から魚が降ってきたり、井戸に下りて不思議な夢を見ることのいない村上春樹が、ちょっと新鮮!などと思った記憶があります。

つまり、その程度のファンなんですよ、私は。

あっ、断っておきますが、村上春樹が嫌いなわけではありません!
なんてったって、新刊が発売されれば必ずニュースになるほどの人気作家だし、そのうちノーベル賞作家と呼ばれる日だって来るかもしれない。知識としても、読んでおかねばならない作家の一人であると思っているし「ねじまき鳥クロニクル」を読み終えたときの、あの何とも言えないモヤモヤをちゃんと自分なりに消化して、いつか文章にしたい……などと、思ったりはしているんです。

ただね、さっきも言いましたが、ハルキストと公言するほどの大ファンではないんです。

正直言って、今の自分が、村上春樹の作品世界を、ちゃんと理解できているという自信はありません。
現に、村上春樹作品を読むたび、現実的ではない作品世界 ( あっ、ここは重要です! 村上春樹的な、強調の点々付けてね。あくまで、「現実的ではない作品」であって、「非現実的作品」ではないのです ) に、「どうしてこんなストーリーになるのか?」という疑問を抱き、主人公の生い立ちや戦争に関する描き方など、共感できる部分があるのに、結末まで読んで「えっ?こんな終わり?」と納得できなかったりして、感想を求められたら、あらすじをまとめることもできないまま「登場する女の子たちが、節操がない!」とか言い出しかねない気がします。

つまり、その程度の、薄っぺらい読者なんです。

私の知り合いに「村上春樹の井戸は、単なる井戸ではない!あれは、人間の根底に渦巻く無意識という嫉妬や悪意のメタファーで……云々」なんて言う、ハルキストを公言して憚らない人が一人いるんですが、その人から「あんたは、村上春樹の小説の表面しか読んでない!」などと言われたこともあります。
「そんなこと言われても、ねぇ……」
確かに、反論できるほど村上春樹を読んでないし……。心理学とか持ち出されたら、解るわけがないやろ!
だいたい、読書の仕方は、人それぞれでしょ?感想だって、人それぞれでしょ?
本を読むのって、そんなに難しいことですかね?
ただ、「なんか、よーわからんけど、面白かった」でもいいんじゃないの?

と、常日頃思っているので、ハルキストではない私が、「羊をめぐる冒険」の感想を、私なりの視点で書かせてもらいます。
ハルキストのみなさん、拙い感想ですみません。温かい目で見逃してくださいねー。


さて。
今回「羊をめぐる冒険」を、まったくの予備知識なく読み始めた私は、作中に「鼠」と「ジェイ」が登場してきたあたりで「あれ?」と思いました。
これ、もしかして「風の歌を聴け」の続編ちゃう?なんか、作品の世界観も似ている感じがする……。
そう思って、ネットで調べたら(今は本当に便利ですね。知らないことをすぐに調べることができる)、なんと、鼠三部作とかいう記事がヒットするではありませんか。いやー、自分の無知っぷりを、改めて実感しました。世の中には、自分の知らないことが、まだまだ溢れているんですね。知るきっかけを与えてくれた胡桃ちゃんとカナコちゃんに感謝して、作品を読み進めました。

羊をめぐる冒険」。最近の村上作品と比べると、文章に遊びがあると言うんでしょうか。主人公の置かれている状況や境遇などが、無駄なくらいに文学的な表現で描かれていて、物語の冒頭にも、伏線か?と思わせるような場面が収まっているんです。でも、これが、ストーリーの本筋には全く関係ない。「ページ数稼ぐために苦肉の策で書いたんかな?」と、一瞬思ってしまうような章立てなのですが、「もしかしてこれ、不自然にページ数を割いてでも、当時の生身の村上春樹が伝えたかったことだったのかしら」などと思いを馳せてしまいます。
物語の背景は、高度成長期と呼ばれた時代の終わりごろ。その当時のテレビドラマや映画では、男も女も、タバコをプカプカふかしていて、巷には長髪(今風のロン毛とは違う)のお兄ちゃんが溢れ、ヒッピーという言葉が流行り、性の乱れも社会問題になっていた頃です。本筋には関係ないところで私は、自殺してしまう女の子に、心を乱されました。
そして、読み進むうちに、「耳を閉鎖」している女の子が登場して、「奇妙な男」から、わけのわからん状態に巻き込まれ、ようやく村上春樹らしいストーリーが展開してくるのです。
あとは、ネタバレになるので、興味のある方には、ぜひ、読んでいただきたい、と思うところなのですが、結末は、ちょっと衝撃的でしたね。ブルジョワに反発して旅に出た「鼠」だったからこそ、権力に屈しないというこの結末か?とか、主人公の「僕」の凡庸は、中立的判断ができるという意味なのか?とか、色々考えてしまいました。

ただ、読んだ後に、「鼠」の彼女?とか、「僕」の出て行った妻のこととか、何だか消化不良のような感じがしたので、「1973年のピンボール」を続けて読みました。
さすがに「鼠」三部作と言われているだけあります。ちゃんと理解するには、全部読んだほうがいいと思います。


って、ハルキストではない私が言う事ではなかったですね。
こりゃまた失礼いたしました。

胡桃ちゃん、この本を教えてくれてありがとう。
カナコちゃん、この本から読んでと薦めてくれてありがとう。

毎日新聞農業記録賞

去年の八月初旬のことである。
友人から誘われたバーベキューの飲み会で、高校教員をしているH先生にお目にかかった。
H先生は、息子が高校の時にお世話になった、アンジェラ・アキ似の美人先生で、明るく気さくな方である。友人のMさんと何やら話をしていたので、
「こんにちは。ご無沙汰しております」
と挨拶をしたところ、
「あー、そうや、ウエタさん(私の名前)、応募してみん?」
Mさんが私に話を振ってきた。
「えっ?何の話?」
「ウエタさん、毎日新聞の、毎日農業記録賞って、知っちゅう?」
「いや、知らん……」
そう。この時まで私は、毎日農業記録賞というものを、まったく知らなかったのである。

話を聞くと、毎日農業記録賞というのは、「農」や「食」、「農に関わる環境」への関心を高めるとともに、それに携わる人たち、これから携わろうとする人たちを応援する賞で、「農」「食」「農に関わる環境」に対する思いや体験、提言などをつづり、原稿用紙十枚程度にまとめて応募するという、どうやら、作文コンクールのようなものらしかった。
一般の部と、高校生の部があり、H先生は、高校生の部に応募する生徒の作文を添削指導しているらしく、
「締め切りが九月の頭やき、今月末までには仕上がるようにと思うたら、なかなかこれが大変ながですよ……」
と、少々苦笑い。
「でも、ウエタさん、応募してみませんか?何なら、添削指導もしますよ。一般の部は応募数も少ないし、それに、最優秀賞は賞金が30万円やし」
そう、H先生が言い、
「えっ?30万ですか!」
金額を聞いて、一瞬、心が動いた。しかし、締め切りまで一ケ月を切っている。たったひと月足らずで原稿用紙十枚ほどの文章をまとめるのは、ちと面倒くさい……かな?
「あー、考えてみます」
結局私は曖昧に答えて、その日は帰宅したのだった。

そして、その二日後、事態は急変するのである。

なんと私は、自分の不注意から接触事故を起こし、車を廃車にするという失敗をおかしてしまった。
信号のない交差点で、軽自動車同士の出合い頭の接触事故。不幸中の幸いは、双方、軽い打ち身程度で大した怪我はなく、過失割合もほぼ五分五分だったので、事故後の処理はそれほど揉めることもなかったのだが、主人からは、
「ったく!金もないに、新しい車を買わんといかんやろが!」
と、めちゃめちゃ怒られ、私は、塩をかけられたナメクジ状態。
反省しています。ごめんなさい……とは思うが、余計な出費は避けられない。弱ったなぁ、どうしよう、と思っている時、ふと私の脳裏に、H先生の言った「賞金30万円」という言葉が、一筋の光明のように浮かんできたのだ。
嗚呼!そうだ。この手があった!
もちろん、賞金30万円が貰えると楽観視した訳ではない。貰えたらいいなとは思ったが、たったひと月足らずで書いたものが30万円に化けるほどの文章力が、自分にないことは解かっている。
しかし、この、毎日農業記録賞、賞金がびっくりするほどの大盤振る舞いなのだ。
まず、一般の部。最優秀賞が6編。賞金、各、30万円。
優秀賞が10編。賞金、各、10万円。
奨励賞が1編。賞金5万円。
優良賞が、前年度は34編。賞金、各、1万円。
続いて高校生の部。優秀賞が10編。各奨学金10万円(高校生なので、ここは奨学金)。
奨励賞が2編。奨学金、各、5万円。
優良賞が40編。1万円分図書カード。
ざっと計算したしただけで、総額500万円弱。
こんだけ大盤振る舞いなら、優良賞の一万円ぐらいは、いけるかもしれない。
淡い期待を胸に抱き、その日から数日、晩酌をちょっとだけ控えて、私はパソコンに向かったのであった。

つまり、応募動機は、間違いなく賞金目当て。
不純な動機はしれっと隠して、書き上げた作文を、毎日新聞高知支局に送ったのは、ここだけの秘密である。

ただ、誤解しないで欲しい。きっかけというか、動機は確かに不純だったかもしれないが、作文に書いたことは、嘘ではない。日頃から、自分が農業に対して、あるいは食に対して思っていたことを自分なりの文章でつづったものであり、仕事の合間に、ひと月足らずで書いたにしては、上手く書けたし、自分で自分を褒めてあげたいと、思っている。

さて。それから数日が経ち、日々の仕事に忙殺され、毎日農業記録賞に応募したことなどすっかり忘れていた11月の中旬のことだった。一本の電話が、掛かってきたのである。
電話で、
「こんばんは。毎日新聞高知支局の〇〇と申します。ウエタさんですか?おめでとうございます。優秀賞を受賞されました。賞金10万円です!」
といった内容の連絡を、もうちょっと上品な言い方で説明されたと思うのだが、舞い上がってしまったのと、酔っぱらっていたのとで、細部まで、はっきりとは覚えていない。しかし、
「ありがとうございます、ありがとうございます」
と繰り返したのは、今でもはっきりと覚えている。

賞金が口座に振り込まれた翌日、主人と二人で、近所のイタリアンレストランで食事をした。さらに、年末に、いつもよりちょっと高いお肉と、ちょっと高いワインを買って家族で団欒し、さらに年明けに、いつもの倍はするお肉を買って、すき焼きをして新年を祝い、賞金は、あっという間に、ぱぁーっと使ってなくなった。
これは、高知県民的、正しい臨時収入の使い方だと、私は思っている。

それもこれも、毎日新聞社様のおかげでございます。
毎日新聞社様。大変、美味しゅうございました。ありがとうございます。








灯台は、意外と下暗し

パソコンが、壊れた話の続きである。

話はちょっと本題からそれる。私は高知県東部の辺鄙なところで暮らしているのだが、辺鄙なところだから自然はいっぱいで、水も空気も、採れる作物もとっても美味しい。しかし、それと引き換えに、辺鄙な場所であるがゆえの不便さもそれなりにあって、東宝シネマズ高知とイオンがある高知市内までは車で片道一時間半かかるしし、一番近いユニクロまでは片道一時間。ヤマダ電機ケーズデンキまでは半時間かかるような、車がないと生活できない所で毎日暮らしている。
つまり、色んなお店のある市街地まで、物理的に遠いのだ。

そんなだから、当然、ネットで検索した最寄りのパソコン修理業者も、最寄りとは呼べないくらい遠くにあった。車で片道一時間半もかかる場所にある業者が一番近いなんて、近いという言葉の定義は何だろう?と、思わずにはいられない。パソコンを修理に出すのに、往復三時間。朝九時に出て、お昼の休憩を間に挟めば、中途半端に一日がつぶれてしまう。まっ、長い人生、そんな日もたまにはあるだろう。
そんなわけで、火曜日の夜、私は主人に「明日は仕事一日休んで、パソコン修理に持って行ってくるきね」と、仕事さぼって、ついでにウロウロ買い物もしてくる宣言をしていたのだった。
大事なデータを復旧してもらえるなら、御の字だ。遠いだのとワガママの言える立場ではない。先代のパソコンが壊れた時には、NTTさんがメーカーに送ってくれたなぁ……。修理が完了するまでに一週間以上かかったよなぁ……。てか、明日はお昼、どこで食べよっかな……。ブックオフとearthにも寄っちゃおう♡
ぼんやりと酔っぱらった頭で、そんなことを思っていた時だった。息子が
「そんな遠いとこまで行かんでも、〇〇町に修理しゆうとこあるのに」
と、ぬかすのである。
「えっ?」
〇〇町までは、家から車で片道15分……もかからない。
「そんなとこに修理店あった?」
「うん。あるで。〇〇の信号のところを右に曲がって……」

息子の話によると、そのお店は、大手パソコン機器メーカーで勤務していた人が、都会に疲れて会社を退職し、実家のある〇〇町にUターンしてきて始めたお店とかで、仕事は迅速丁寧かつ良心的だという話だった。
「へぇー。知らんかった。ネットの検索にも引っかからんかったけど……」
「そりゃ、店のおじさんが宣伝してないきやろ。でも、腕はいいって聞いたで。ほんとかどうかは知らんけど」
「ふーん」
さて。どうしたものか。明日、買い物したかったがやけどなぁ……。さぼりたがりの私は一瞬思案したのだが、そんな私の心の底を見抜いた主人がにっこり微笑んで、言った。
「〇〇町やったら、あんた、明日は半日仕事できるやろ」

……ちっ!

さて。翌日(つまり、昨日)。午後からそのお店にパソコンを持って行った。
迎えてくれたのは、眼鏡をかけ、赤いチェックの洒落たシャツを着た、小柄で痩せた、ちょっと神経質そうなおじさん(見た目年齢は私より少しだけ上)だった。
パソコンの状態と、復旧したいデータの名前と私の連絡先等を伝えると、
「うわー、このパソコン、ねじ穴とか全然見あたらないんだけど。これは、困ったな。どうやって分解しよう?ちょっと大変だな」
と、神経質そうに思えたその顔を、くしゃっとした笑顔に変えて、なんだか嬉しそうにしている。
山が高ければ高いほど燃え上がる登山家のようだなぁと思いつつ、パソコンを預けて帰って来た。

そして、本日。
息子が言った「迅速丁寧かつ良心的」は、嘘でも、噂でもなかった。今日の午後「作業終りました」と連絡があり、なんと、パソコンが無事、我が家に帰って来たのである。
たった、二日で、修理が完了するなんて、凄くない?
もちろん、会計ソフトのデータも無事!ドキュメントに保存していた文書や画像も、ダウンロードしていた楽曲も無事!修理代も二万円ちょっと。もうね、感謝しかないでしょ。
帰り際、店主のおじさんが、
「このパソコン、中のハードディスクが素晴らしいことに日立製やったき、壊れてなくって……」
と、熱弁をふるってくれたのだが、機械オンチの私には、日立製のハードディスクがどう素晴らしいのかはさっぱりわからなかった。しかし、店主のおじさんの笑顔は本当に素敵で、パソコンよりも、もっと大事なものを直してもらったような気がしている。

そんなこんなで、帰宅後、息子が買ったまま使っていないUSBメモリーを勝手に取り上げて、復旧した会計ソフトを早速ダウンロードしたのは、ここだけの秘密で、私は今、パソコンでこのブログを書いている。
あー、皆様に感謝。