ちゃららのごくどう日記

土佐弁で、なまけ者とか、ぐうたらな人のことを「ごくどうもん」と言います。自由な土佐の山間から、田舎のおばちゃんが、あれこれ書いてみます。

村上春樹の「羊をめぐる冒険」について書きました

先月末のことです。Twitterのお友達である胡桃ちゃんに、村上春樹の「羊をめぐる冒険」という作品を薦められて、さっそく読んでみました。
というわけで、今回は村上春樹について書いています。興味のない方は、スルーしてくださってかまいません(笑)。

実は私、お恥ずかしい話ですが、これまで村上春樹の「ノルウェーの森」より以前に出版された小説をほとんど読んでおりませんでした。読んだのは、デビュー作の「風の歌を聴け」だけで、しかも、読んだのもずいぶん前で ( 確か、海辺のカフカが刊行された頃だったと思う )、読んだ当時は「全共闘とか、学生運動になじめなかった、クールな大学生の青春小説」といった印象だったかなぁ。空から魚が降ってきたり、井戸に下りて不思議な夢を見ることのいない村上春樹が、ちょっと新鮮!などと思った記憶があります。

つまり、その程度のファンなんですよ、私は。

あっ、断っておきますが、村上春樹が嫌いなわけではありません!
なんてったって、新刊が発売されれば必ずニュースになるほどの人気作家だし、そのうちノーベル賞作家と呼ばれる日だって来るかもしれない。知識としても、読んでおかねばならない作家の一人であると思っているし「ねじまき鳥クロニクル」を読み終えたときの、あの何とも言えないモヤモヤをちゃんと自分なりに消化して、いつか文章にしたい……などと、思ったりはしているんです。

ただね、さっきも言いましたが、ハルキストと公言するほどの大ファンではないんです。

正直言って、今の自分が、村上春樹の作品世界を、ちゃんと理解できているという自信はありません。
現に、村上春樹作品を読むたび、現実的ではない作品世界 ( あっ、ここは重要です! 村上春樹的な、強調の点々付けてね。あくまで、「現実的ではない作品」であって、「非現実的作品」ではないのです ) に、「どうしてこんなストーリーになるのか?」という疑問を抱き、主人公の生い立ちや戦争に関する描き方など、共感できる部分があるのに、結末まで読んで「えっ?こんな終わり?」と納得できなかったりして、感想を求められたら、あらすじをまとめることもできないまま「登場する女の子たちが、節操がない!」とか言い出しかねない気がします。

つまり、その程度の、薄っぺらい読者なんです。

私の知り合いに「村上春樹の井戸は、単なる井戸ではない!あれは、人間の根底に渦巻く無意識という嫉妬や悪意のメタファーで……云々」なんて言う、ハルキストを公言して憚らない人が一人いるんですが、その人から「あんたは、村上春樹の小説の表面しか読んでない!」などと言われたこともあります。
「そんなこと言われても、ねぇ……」
確かに、反論できるほど村上春樹を読んでないし……。心理学とか持ち出されたら、解るわけがないやろ!
だいたい、読書の仕方は、人それぞれでしょ?感想だって、人それぞれでしょ?
本を読むのって、そんなに難しいことですかね?
ただ、「なんか、よーわからんけど、面白かった」でもいいんじゃないの?

と、常日頃思っているので、ハルキストではない私が、「羊をめぐる冒険」の感想を、私なりの視点で書かせてもらいます。
ハルキストのみなさん、拙い感想ですみません。温かい目で見逃してくださいねー。


さて。
今回「羊をめぐる冒険」を、まったくの予備知識なく読み始めた私は、作中に「鼠」と「ジェイ」が登場してきたあたりで「あれ?」と思いました。
これ、もしかして「風の歌を聴け」の続編ちゃう?なんか、作品の世界観も似ている感じがする……。
そう思って、ネットで調べたら(今は本当に便利ですね。知らないことをすぐに調べることができる)、なんと、鼠三部作とかいう記事がヒットするではありませんか。いやー、自分の無知っぷりを、改めて実感しました。世の中には、自分の知らないことが、まだまだ溢れているんですね。知るきっかけを与えてくれた胡桃ちゃんとカナコちゃんに感謝して、作品を読み進めました。

羊をめぐる冒険」。最近の村上作品と比べると、文章に遊びがあると言うんでしょうか。主人公の置かれている状況や境遇などが、無駄なくらいに文学的な表現で描かれていて、物語の冒頭にも、伏線か?と思わせるような場面が収まっているんです。でも、これが、ストーリーの本筋には全く関係ない。「ページ数稼ぐために苦肉の策で書いたんかな?」と、一瞬思ってしまうような章立てなのですが、「もしかしてこれ、不自然にページ数を割いてでも、当時の生身の村上春樹が伝えたかったことだったのかしら」などと思いを馳せてしまいます。
物語の背景は、高度成長期と呼ばれた時代の終わりごろ。その当時のテレビドラマや映画では、男も女も、タバコをプカプカふかしていて、巷には長髪(今風のロン毛とは違う)のお兄ちゃんが溢れ、ヒッピーという言葉が流行り、性の乱れも社会問題になっていた頃です。本筋には関係ないところで私は、自殺してしまう女の子に、心を乱されました。
そして、読み進むうちに、「耳を閉鎖」している女の子が登場して、「奇妙な男」から、わけのわからん状態に巻き込まれ、ようやく村上春樹らしいストーリーが展開してくるのです。
あとは、ネタバレになるので、興味のある方には、ぜひ、読んでいただきたい、と思うところなのですが、結末は、ちょっと衝撃的でしたね。ブルジョワに反発して旅に出た「鼠」だったからこそ、権力に屈しないというこの結末か?とか、主人公の「僕」の凡庸は、中立的判断ができるという意味なのか?とか、色々考えてしまいました。

ただ、読んだ後に、「鼠」の彼女?とか、「僕」の出て行った妻のこととか、何だか消化不良のような感じがしたので、「1973年のピンボール」を続けて読みました。
さすがに「鼠」三部作と言われているだけあります。ちゃんと理解するには、全部読んだほうがいいと思います。


って、ハルキストではない私が言う事ではなかったですね。
こりゃまた失礼いたしました。

胡桃ちゃん、この本を教えてくれてありがとう。
カナコちゃん、この本から読んでと薦めてくれてありがとう。