ちゃららのごくどう日記

土佐弁で、なまけ者とか、ぐうたらな人のことを「ごくどうもん」と言います。自由な土佐の山間から、田舎のおばちゃんが、あれこれ書いてみます。

沈黙のパソコン

一週間ほど前のことである。ブロック塀から飛び降りるほどの覚悟で「ブログを始めよう!」とか思いたち、はてなブログに登録をした翌日に、なぜか知らんが、パソコンが壊れてしまった。

データの復元とか、色々やってみたが、ディスプレイは、青い背景に「自動修復しています」と「再起動してください」と「修復できませんでした」をローテーションで映し出すばかりで、起動する気配は一向にない。

まあ、買ってから10年ほど経っちゅうしね。壊れるがはしかたがないか。パソコンの方は寿命やと思って、諦めよう……。

などと、悠長なことを言うとる場合ではないのだった。
なぜなら、USBやロムに落としていないデータが、まだ中に残っているのだ。
自営業なので、会計ソフトを使って、パソコンで帳簿管理をしているのだが、あれが、パーになって、一からやり直しなんてとんでもない。勘弁してくれ!(バックアップを外部に保存してない私がいかんがやけどさぁ……、わかっちゅうけども……)

しかし、私も主人も、パソコンの配線とかセットアップとかが苦手で、今まではパソコンをNTTさんに修理とか、セットアップとかしに来てもらっていた。残念なことに、NTTさんのそのサービスは、数年前からやっていない。

どうしよう……。

しょうがない。ここは、ひとつ、出張修理の業者を探すか。早速、パソコン出張修理の業者をタブレットで検索したところ、あるじゃん、あるじゃん。全国どこでも即日出張修理しますと書いてある。対象エリアを確認したら、私の住んでるとこも、出張修理の対象地域。
受付は、朝九時から。翌朝、九時を待って、その業者の番号(フリーダイヤル)に電話を掛けたのである。

電話は、わりとすんなり繋がった。若そうな感じのお姉さんの声に導かれるまま、住所氏名、電話番号にバソコンの情態と種類を告げ、出張修理を希望する旨を伝えると、
「大変申し訳ありません。お客様のお住まいの地域は、郵送にて対応させていただくことになっておりまして……」
とか、言うではないか!
「はぁ?!」
はぁ?! ゆ、郵送だとぉ?
だって、ネットの広告には、出張修理しますって書いちゅうやん。ちょっと、話が違うやろ!
文句言うてやろうと思うが、なんて言うたらいいのか、言葉が浮かんでこない。
絶句していると、電話の向こうのお姉さんが、
「本日、こちらから、郵送に関するご案内の資料をお送りいたしますので、資料が到着いたしましたら、改めてお申し込み手続きをお願いします」
と、続けてきたので、再び絶句。
「では、本日のお電話は、わたくし○○が承りました。ありがとうございました」
「……はい。失礼します」


しかし……。
電話を掛けてから、今日で五日ほど経つのだが、資料は未だ届いてない。
どーなっちゅうがな!ジャロにいいつけちゃる!

そんなわけで、今日もスマホからポチポチ(書きにくい 泣き)。

パソコンは、沈黙したままである。

藤沢周先生の本は、女性言葉で私を呼ぶ。その2

さて。前回の続きである。

呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーンの、アクビちゃんのような可愛らしい声で「私を買って、私を読んで」と呼びかけてきた件の小説は、三篇からなる短編集で、表題作の「ソロ」は一番最初に収められていた。
70ページ弱の短編で、読み始めてすぐに、リズムの良い文章にするすると絡めとられ、私は、瞬く間にその作品世界に引きずり込まれた。途中で止めることすらできない。一気に読みすすみ、あまりの衝撃に、声をあげそうになった。

なっ、なんじゃこりゃーっ!
こんな小説、書いたらいかんやろーっ!

そう叫びたくなるくらいに、本を持つ手が震えてくる。

なぜなら、この「ソロ」という小説、狂っているのだ。

鼻ピアスの主人公が、見ず知らずの女の運転免許証を拾い、その女を訪ねて殺害し、女の部屋を物色し、バスルームで用を足しているところから物語は始まる。
間違いなく頭のイカれた主人公は、信じられない行動をとるのだが、狂っていると感じたのは、主人公のことではない。

文章が、たまらなく、美しい。

イカれた主人公の狂気につられて、文章までもが昂る……といった感じがまるでない。冷静で、静謐。独特の比喩に、繊細な描写。作品世界は冴え、その冷酷なまでの美しさに、私は、ゾッとした。

この作者が、イカれている。

正直、そう思った。
こんな小説を世にだしていいのか?
そんなことすら思った。
しかし、一方で、言いようのないモヤモヤした感情が、胸の内から湧いてくるのも事実だ。
納得ができない。何に納得ができないのかもわからないが、とにかく、納得ができない。
私はもう一度、「ソロ」を冒頭から読み返した。そして気づいたのである。その作品に、自分が惹かれていることを。

翌日、私は図書館に行き、藤沢先生の作品を借りられるだけ借りて、貪るように読みあさった。どの作品も出口などなく、窒息しそうな世界観に、目眩すらおぼえる。中毒患者のように虚ろになった頭で、私は思ったのである。

そうか。私も、イカれているのか……。


以来、私は藤沢先生の小説に溺れている。本を開き、美しい文章の束を自らの首に巻き付け、白目を剥き、喘ぎながら、恍惚という言葉の意味を噛み締めるのだ。

なあ、藤沢先生、こういうのも、ありだろう?

藤沢周先生の本は、女性言葉で私を呼ぶ。

私は、読書が好きである。
と言っても、一般素人な田舎のおばちゃんなので、哲学書とか、難しそうな本はあまり読まない。主に小説。文学作品も読むし、エンタメ作品やラノベだって、自分が面白いと思えば何でも読むのだが、最近は老眼のせいで、目が疲れやすく、昔に比べると読書の時間が減ってしまった。
そんなわけで、気分転換も兼ねて、スマホ片手に、ちょっと、ポチっとしてみようと思う(パソコンが夕方からヘソを曲げてブリーズしてしまったせいでスマホ……泣き)。


さて。
作家の先生方には、大変申し訳ないのだが、私はよく、BOOKOFFで本を買う。
と言っても、大半が100円(税別)の値札を貼られた見切り品で、未読の話題作(だったもの)とか、読んだことのない有名作家の本などをいつも物色して購入している。
他に買うのは「なんか、気になる」本。
インスピレーション買いと勝手に名付けているのだが、作家の名前も、作品タイトルも知らないのに、なぜか惹かれる本を、私はたまに買ってしまうのである。
窪美澄の「ふがいない僕は空を見る」は、タイトルに惹かれて買った一冊だ。
映画化までされていたことを後日知ったのだが、購入時には、窪美澄の名前も知らなかった(すみません)。
東山彰良の「ラム&コーク」は、装丁が良かった。透ける素材の、フィルムのようなカヴァーが掛けられていて、明るい装画がこれまた魅力的。作品は、馳星周の小説をコメディーにしたら、こんなんできました!みたいな、笑えるヴァイオレンス小説で、スピード感のある文章もかなり良い。
「この作家、すっごい面白いのに、何で売れてないがやろ?」と思っていたら、直木賞を受賞した。
東山先生、おめでとうございます。

そんな感じで、BOOKOFFの100円コーナーは、行けば必ず覗くのだが、一度だけ、単なるインスピレーションとは呼べない感覚を味わったことがある。

それは、藤沢周先生の「ソロ」という小説の文庫本だった。
私はその頃、藤沢先生の名前は知っていたが、作品は読んだことがなかった。そして、その「ソロ」という本に目が止まった時、本が、私を呼んだのである。

「ねえねえ、私を買って!私を読んで!」

と。
しかも、女性言葉で……。

こんなことを書くと、「こいつ、頭がおかしいんじゃねーの?」とか言われそうだが、事実なんだから仕方がない。

結果、私は本に呼ばれるまま「ソロ」を手に取り、レジに向かったのである。


つづく……。