ちゃららのごくどう日記

土佐弁で、なまけ者とか、ぐうたらな人のことを「ごくどうもん」と言います。自由な土佐の山間から、田舎のおばちゃんが、あれこれ書いてみます。

ぼちぼち、農業の話をしようじゃないか

f:id:kitagawayuzu:20180616173137j:plain私は現在、高知県東部の山の中で、主人と柚子を栽培している。
所謂、専業農家。お米や野菜も作っているが、専門は柚子だ。栽培面積は140アールくらい、と書いても「よーわからん」って人がほとんどだろう。柚子の木を千本ほど栽培していると説明したほうがわかりやすいかもしれない。
結婚した当時は、農業なんぞをするつもりは、まったくなかった。
主人は地元のJAに勤めていたし、私も子供たちが保育園に通い始めてからは、事務のバイトなんかをして働いていた。主人の両親が柚子農家だったので、ゆくゆくは手伝うことになるのだろうと漠然とは思っていたが、そんなのは主人が定年退職してからのことだ。老後にのんびりまったり、晴耕雨読生活するのも悪くないなどと、ぼんやり思っていた。

ところが、主人がJAを辞めてしまったのである。

主人が40歳を過ぎた頃だった。辞めた理由は、職場の人間関係や仕事のノルマ、その他もろもろで、辛い気持ちもよくわかったし、辞めたいと主人から告げられた時も、私は反対しなかった。
ただ、当時は長女が小学四年生になったばかりの頃で、次女と、末っ子長男、三人の子供たちには今からまだまだお金がかかるようになる。私はとある事業所から事務員として仕事をしないかと誘われていたので、主人が農業をするなら、私だけでも外で働いて、安定した収入を少しでも確保したほうがいいのではないかと主人に相談したのだった。

しかし、主人が首を縦に振る気配はまるでなく、
「一緒に、農業をして欲しい」
なんてことまで言い出す始末。

「えー、けど、農業は、しんどいし。収入やって、安定してないやろ?」
なるべくなら、農業は、したくない。夏は暑いし、冬は寒い。汗にまみれるし、虫にだって刺されそう。事務員の方が楽で、楽しそうに思えてしまうのだ。
すると、しぶる私を前に、ふっと真顔になった主人が
「しんどい仕事やきこそ、お前と一緒にやっていきたいがよ。しんどいきんこそ、お前に助けてもらいたいがやいか」
そう、言ったのである。
その言葉を聞いた時、まるで、二回目のプロポーズをされたような気分になった。
一人では辛い仕事も、お前とならば、乗り越えられる。さあ、一緒に手を取り合って、共に歩もう!
もちろん、そんなことまでは言わなかったが、私の心には、そう言っているように聞こえたのである。

あれから、20年……。
いや、正確には19年。

今になって、私は思う。
あの頃、私はまんまと主人に騙されたのだと。
主人の本音は、「しんどい仕事やきこそ、お前にやらせておいて、俺が楽するがよ」ではなかったかと、密かに疑う毎日である(笑)。